ゲリラ豪雨の軒下で隣り合った25歳と、傘がない夜
降水確率30%に賭けて傘を置いて出た6月の夜、ゲリラ豪雨でコンビニの軒下に逃げ込んだら、30秒後に本を抱えた子が駆け込んできた。自分より本の心配をする書店員のスズ(25)。雨音の下の会話、喫茶店への雨宿り延長、雨上がりの連絡先交換までの一部始終。
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6月の夕方の空ってのは、ほんとに信用ならない。
あの日、仕事関係の用事を済ませて、最寄り駅から家まで商店街を歩いてた。19時前。朝の予報は降水確率30%で、俺は「30なら降らねえだろ」側に賭けた。傘は置いてきた。で、商店街の真ん中あたりで、空気が変わったんだよな。風が急に湿って、生ぬるくなって、アーケードの切れた先の空が、鉄板みたいな色になってた。
ポツ、と来て、ポツポツ、になって、次の瞬間にはもう「ザー」じゃなくて「ゴー」だった。雨の壁が道の向こうから走ってくるのが見えるやつ。あれ、比喩じゃなくて、ほんとに走ってくるんだよ。歩いてた人たちが一斉に散って、俺も全力で走って、一番近かったコンビニの軒下に滑り込んだ。間に合ってない。肩から背中、すでにびしょびしょ。笑
で、今日はその軒下で隣り合った子の話。先に言っとくと、この話にお持ち帰りは出てこない。雨が上がるまでの1時間ちょっとと、そのあとのちょっとだけ。でも、ここ最近の夜の中で、たぶん一番記憶に残ってるやつになった。
ゲリラ豪雨に撃ち落とされた。傘なし、19時、コンビニの軒下
雨宿りの出会いの入口、現場での空気、会った後の動きまで。場面ごとの温度を拾いながら、アキの現場感をそのまま読む記事です。
軒下に逃げ込んで最初にやったのは、天気アプリを開くことでも濡れた肩を拭くことでもなく、とりあえず呼吸を整えること。ゲリラ豪雨って、まず音がすごい。コンビニの庇(ひさし)をドラムみたいに叩いて、駐車場のアスファルトから雨が逆に跳ね返ってきて、軒下にいても膝から下はじわじわ濡れていく。そして、さっきまで乾いてたアスファルトが濡れた瞬間の、あの土っぽい匂いが一気に立ち上がってくる。梅雨の匂い。
同じ軒下には先客が2人。スーツのおじさんと、自転車ごと避難してきた高校生。誰も喋らない。全員で、ただ雨を見てる。この「知らない者同士が並んで同じ方向を見てる」感じ、ちょっと映画館っぽくて、嫌いじゃなかった。
レーダーを見たら、うちの町の上にだけ真っ赤な塊が居座ってて、動く気配なし。覚悟を決めて、店内で缶ビールを1本買った。どうせ長い。なら飲みながら待つ。軒下に戻ってプシュッと開けて、滝みたいな雨を見ながら飲むビール。これが、意外と悪くなかった。

ゲリラ豪雨に撃ち落とされて、軒下でビール開けた瞬間に「今日はもうこれでいいや」ってなった。男一人の雨宿りなんて、だいたいこんなもん。
そこに、彼女が走り込んでくる。
30秒後、本を抱えた子が駆け込んできた
ビールを2口くらい飲んだ頃。雨の中を、女の子が一人、こっちに向かって走ってきた。
走り方が変なんだよ。傘なしで走る人って、普通は頭をかばうだろ。鞄を頭に乗せたり、手をかざしたり。その子は違った。胸に抱えた何かに薄手のカーディガンをかぶせて、自分の頭は完全に見捨てて、前傾姿勢で突っ込んできた。で、軒下に滑り込むなり、自分の濡れ具合は一切確認せずに、抱えてたやつの安否確認を始めた。
カーディガンの下から出てきたのは、書店の紙の手提げ袋。もう雨で半分ふやけてる。中から文庫が2冊と、分厚い単行本が1冊。前髪から水滴が垂れてるのに本人はおかまいなしで、単行本を取り出して、小口(ページの側面ね)を確認して、角を確認して、
「……セーフ……」
って言った。雨の音に消されるギリギリの、ほんとに小さい声で。
自分はずぶ濡れなのに本の無事だけ確認して安堵してるの、つい笑っちゃって、それが最初の会話になった。

本、無事でした?
…あ。……はい。角が、ちょっと…。でも中は無事で…


自分の心配より先に本なんすね。前髪、すごいことなってますよ。
…私は乾くので。…本は、乾かないので…

「私は乾くので。本は乾かないので」。小さい声で、静かにとんでもない名言を吐く子だった。笑
見てると、ふやけた紙袋がもう限界で、持ち手が千切れかけてる。俺はビールを左手に持ち替えて、コンビニのビニール袋から自分のつまみを出して、空いた袋を差し出した。

これ、袋使ってください。中身いま出したんで。その紙袋、たぶんあと5分で死にます。
…え。……いいんですか…?


ビニールは乾くんで。笑
……(笑)。…すみません。…助かります…

ここで初めて、ちょっとだけ笑ってくれた。声は小さいままだけど。
言っとくと、この時点で下心はなかった。…いや、ゼロって言い切ると嘘になるか。2%くらいはあった。俺もナンパ師の端くれなんで。笑 でも順番の話で、先に袋なんだよ。困ってる人がいて、こっちに袋がある。だから貸す。それだけ。傘を持ってない女の子を「チャンス」みたいに数える感覚は、俺にはない。前に酔いつぶれた子を介抱して、何もせず送り届けた夜の話を書いたけど、あれと同じで、相手が困ってる状態を入口として利用するのは、ナンパじゃなくてただの卑怯だと思ってる。袋は貸す。そのあと会話が生まれるかどうかは、雨と成り行き次第。
雨音の下だと、声はちょっと近くなる
袋に本を移し替えた彼女は、少しほっとした顔になって、雨を見る姿勢に戻った。俺も雨を見る。おじさんも高校生も雨を見てる。全員で雨を見てる。
ゲリラ豪雨の雨宿りの何がいいって、会話のノルマがないことなんだよな。お互い、この軒下を選んでここにいるわけじゃない。空に押し込まれただけ。だから「なんで話しかけてきたの?」っていう、街の声かけで最初に立ちはだかる壁が、そもそも存在しない。同じ災難を食らった者同士ってだけで、最初から薄い仲間意識がある。しかも雨音がでかいから、黙ってても沈黙が沈黙として成立しない。喋ってもいいし、黙っててもいい。

いや、でも知らない人と並んで雨待つのって、間がもたなくないすか?俺だったら秒でスマホに逃げますもん。

逃げていいんだよ、それで。喋らなきゃいけない場じゃないから。あの軒下は雨音がBGMみたいなもんで、ポツポツ喋ってもポツポツ黙っても、どっちでも自然。あの空気は店とも路上とも違う。
会話は、ポツポツ再開した。きっかけは、彼女がビニール袋の中の本をまた覗き込んでたから。

そんなに大事な本なんですか、それ。
…あ、いえ…今日買った本で…。私、駅前の本屋で働いてて。…帰りに、自分の店で買って…


本屋で働いて、帰りに本買って帰るの、給料が円環してません?
…してます。……給料、ほぼ本に戻ってます…(笑)

書店員だった。声が小さくて、語尾が雨音に溶けるから、聞き取るためにこっちが自然と半歩寄ることになる。これは狙ってやったんじゃなくて、物理的にそうしないと聞こえない。雨音って、人の距離を半歩だけ詰める方向に働くんだよ。音のでかい店で席が近くなる、あれの屋外版。
ちなみにこの、素面で、変なスイッチも入れずに、目の前の人とただ世間話する感覚って、夜の繁華街の声かけより休日の昼ナンパに近い。テンションで押す場じゃなくて、温度を合わせる場。雨宿りの場合、その温度合わせを雨が勝手にやってくれる。

ちなみに何買ったんですか、命より大事なその3冊。
…命よりは、大事じゃないです…(笑)。えっと…文庫は海外のミステリで…。大きいのは…雲の図鑑です…


雲の図鑑。
…はい。雲、好きで。……今日のあれも、来るってわかる雲でした…


それ降る前に教えてほしかったな。俺、撃ち落とされたんで。笑
…ふふ。…積乱雲は、見えてから15分が勝負なので…。私は、レジ閉めで出るのが遅れて…これです…

雲の図鑑て。笑 しかも本人、雲が読めるくせに仕事で逃げ遅れて、いま元凶の積乱雲の図鑑を胸に抱えて守ってるわけ。なんだその巡り合わせ。この話を聞いたあたりから、俺はこの雨に少し感謝し始めてた。
雨雲レーダーは「あと40分」の赤だった
スマホのレーダーを開いたら、真っ赤な塊がうちの町のド真ん中に乗ってて、抜けるまで40分の表示。俺は画面を彼女に向けた。

見ます?絶望の画面。
…うわ……。……ド真ん中ですね…


ド真ん中です。あと40分これらしいです。
……40分……

彼女は袋の中の本を見て、それから自分の足元を見た。ぺたんこの靴は、たぶんもう中まで浸水してる。6月の雨は真冬みたいに冷たくはないけど、濡れたまま40分突っ立ってたら普通に体は冷える。
で、思い出した。この商店街の50メートルくらい先に、年配のマスターが一人でやってる古い喫茶店がある。俺はたまにモーニングを食いに行く店。

この先に喫茶店あるんですけど、どうせ40分なら屋根を移動しません?あそこの屋根、コーヒーついてくるんで。
…え。


俺もどうせ行くんで、そのついでです。…あと、本も外の湿気より店内のほうが安全だと思いますよ。紙、湿気るし。
……。…本の、ために…


そう、本のために。
…じゃあ…本のために…(笑)

「本のために」っていう大義名分が、彼女の中の何かを通したらしい。これは俺の誘い方がうまかったんじゃなくて、たまたま口実が彼女仕様だっただけ。ただ、どこの場面でも一緒だと思うけど、誘うときは「相手が乗りやすい理由を一個だけ置く」。それで乗らなかったら、それまで。この日も断られてたら、普通に軒下で40分ビール飲んで終わりだった。
で、走った。50メートル。傘なしの2人。ビニール袋を胸に抱きかかえた彼女と、空き缶を持った俺。途中の水たまりで彼女が一回だけ「ひゃ」って言った。あんなに声が小さいのに、「ひゃ」だけははっきり聞こえた。笑
雨宿りの延長戦は、50メートル先の喫茶店で
ドアを開けたらカランってベルが鳴って、マスターが「おや、降られたね」って。先客はゼロ。古いジャズが小さくかかってて、窓の外は相変わらず滝。おしぼりを2本くれた。
俺はホットコーヒー。彼女はメニューを2往復してから、
…ホットミルクで…

って言って、マスターに「ん?」って聞き返されてた。俺が「ホットミルクだそうです」って通訳した。通訳料はもらってない。
…すみません…。声、昔から小さくて…。レジの「ポイントカードお持ちですか」も、よく聞き返されます…


接客業の泣きどころじゃないですか、それ。笑
…なので、カードの読み取り機を…指さすことにしてます。…工夫です…

工夫です、の言い方が妙に誇らしげで、ちょっとよかった。
彼女はテーブルにハンカチを敷いて、その上に3冊並べて、2回目の安否確認をしてた。雲の図鑑の角が少しだけ折れてて、そこをしばらく指で押さえてた。押さえても直らないのは本人もわかってるんだけど、押さえる。ああいう仕草は、見てるこっちにも伝わるものがある。
で、文庫のミステリの話になった。今日それを買ったのは続編が出たから読み返す用で、シリーズ1作目はもう3回読んでると。どんな話か聞いたら——ここで初めて知ったんだけど、この子、本の話になると声のボリュームが一段上がるんだよ。早口になる。下向きがちだった目線が上がる。あらすじから「この作家は雨の描写がよくて」まで来たところで、急にピタッと止まって、
……あ。……この先は、ネタバレなので…やめておきます…


え、いま絶対一番いいとこだったでしょ。「雨の描写が」の続きは?
…読んでください…。……読んだ人としか、できない話なので…


わかった、読みます。その1作目、スズさんの店に置いてあります?
…あります。文庫の、海外の棚に。……私が発注したので…(笑)


じゃあそこで買うわ。発注した人から買うのが筋でしょ。
名前を交換したのは、このへん。スズ。鈴木の鈴でスズです、って小さい声で言ってた。25歳。俺が「アキです」って返したら、「…秋の、アキですか」って聞かれて、季節で並べると俺たち春夏秋冬の後半ですね、みたいな、どうでもいい話を少しした。こういうどうでもいい話ができるようになったら、もう大丈夫なんだよな。
ホットミルクとコーヒーのおかわりの間に、窓を叩く雨の音が少しずつ細くなっていった。正直、「もうちょい降っとけ」って思ったのは認める。笑
雨上がりの商店街、「本の続き」と連絡先
「上がったね」って言ったのはマスターだった。窓の外、雨の幕が消えてて、向かいの店のテントから水滴がポタポタ落ちてるだけになってた。
会計して(彼女は自分の分をきっちり払った。小銭まで用意してた)、外に出ると、空気がまるごと入れ替わってた。商店街のアスファルトが全部濡れて、街灯と看板の灯りが路面に映って、見慣れたはずの通りが別の街みたいに見える。雨上がりの匂いって、降り始めの土っぽいやつと違って、洗い立ての匂いなんだよな。湿度だけが残って、生ぬるい風が通って、夜の商店街がやけに静かだった。
帰る方向は途中まで同じで、角で分かれる。その角までの数十メートル、彼女は相変わらずビニール袋を大事そうに抱えてた。
連絡先の話は、角で、俺からした。理由も込みで。

例の1作目、買いに行くんで。スズさんがいる日のほうがいいんだけど、シフトって聞いていいやつですか。
…えっと……シフトは、言えないことになってます。…規則で…


あ、そりゃそうだ。笑 じゃあLINEだけ交換しません?読み終わったら、ネタバレ解禁の連絡するんで。
……。…じゃあ、それで…。……私、レジでお客さん来ても…自分からは声かけられない気がするので…(笑)

シフトは規則で言えない、のところだけ、ちゃんと店員の顔で言ってた。そこで線を引ける子なのが、むしろよかった。で、LINEは交換してくれた。最後のは自分の声の小ささのことを言ってて、自分でわかってんのかい、って笑った。
別れ際、彼女がビニール袋を胸の高さに軽く持ち上げて、
…これ…洗って、お返ししたほうがいいですか…?


コンビニの袋を?笑 いいよ、進呈します。ブックカバーにでもしてください。
…じゃあ、大事に使います。……今日の一番の恩人、たぶんこれなので…

恩人、俺じゃなくて袋なのか。笑 でもまあ、わかる。あの軒下で一番働いたのは、間違いなくあいつだった。
水たまりを避けながら歩いていく後ろ姿を角で見送って、俺も帰った。半乾きの服のまま家で開けた2本目のビールは、軒下で飲んだ1本目より、なんか味が薄かった。
後日、教えてもらった本を買いに行った話と、偶然の確率
後日談。ちゃんと買いに行った、例の文庫の1作目。
平日の夕方に店に行ったら、レジにスズがいた。俺に気づいた瞬間、目が一瞬まるくなって、でも何も言わずにすぐ店員の顔に戻って、「いらっしゃいませ」って言った。例によって、ほぼ聞こえないボリュームで。笑 海外文庫の棚から例の1作目を取ってレジに持っていったら、バーコードを通す手つきが、心なしか嬉しそうだった。気のせいかもしれないけど。
…カバー、おかけしますか…


お願いします。…ってか、完全に店員さんモードなんですね。
…勤務中なので…。……読み終わったら、連絡ください。…続き、話すので…

最後のひとことだけ、店員じゃなくて、あの軒下のスズだった。
LINEは続いてる。ベタベタはしてない。読んだ章の報告を送ると、ネタバレ手前で止まる短文が、あの小さい声みたいな文面で返ってくる。それくらいの距離感。交換したあとの間合いのやり方はLINE攻略まとめに書いたから、そっちで。
で、最後に現実の話もしておく。
こういう出会いは、最高なんだけど、狙えない。ゲリラ豪雨が降って、たまたま傘がなくて、たまたま逃げ込んだ軒下に、たまたま話の合う子が駆け込んでくる。この確率、冷静に考えてみてほしい。そもそも「傘を忘れる」の時点で、自分でコントロールできてない。笑 季節の偶然系だとクリスマスのイルミでクリぼっち同士が隣り合った夜もそうだったけど、ああいうのは「当たったら一生覚えてるボーナス」であって、戦略にはなり得ない。偶然を待つだけだと、月に一回あるかないか。下手したらゼロの月が普通に続く。母数が圧倒的に足りないんだよ。だから俺は、普段の母数はマッチングアプリで回しておいて、雨とか季節の偶然は「来たら全力で乗る」枠にしてる。狙って出会いに行く場所の話は全国のナンパスポットまとめにまとめてあるから、偶然を待てない人はそっちから。
全部実際に使った俺の本音ランキング。目的別の使い分けも載せてる。

アキさんが本屋の「いいお客さん」やってるの、なんか新鮮っす。いつもと攻守逆じゃないすか。

な。本屋では俺が客で、向こうがホームだからな。あの子の声が一番大きくなるの、本の話をしてるときだし、それでいいんだと思うわ。
文庫は、いま半分まで読んだ。たしかに雨の描写がいい作家だった。これを書き終わったら続きを読んで、読み終わったら連絡する。ネタバレ解禁の話、たぶん長くなる。
あと、あの日から鞄に折りたたみ傘を入れるようになった……って書きたいところだけど、入れてない。笑 6月の空は、もうしばらく信用しないままにしておく。
この流れの次に読む記事。
読み終わったあとに動きやすいように、連絡、街での流し方、次の場づくりに近い記事を置いています。


