Jメール 京都「観光じゃない店で一杯」の募集に返して、百万遍から鴨川デルタへ
日帰りのはずの京都出張が、昼前の一言で一泊に延びた木曜。昼休みの蕎麦屋でJメールの京都の募集を三件開いて、「観光じゃない店で一杯」に一通返した。百万遍の交差点で、こっちから先に名乗った。エミは、褒めたのか刺したのか分からない一言のあと、俺の顔を見てから「冗談です」と引っ込める人だった。
大学の図書館のカウンターPLACE京都
現場HOOK現場感を
そのまま読む
「続きは、明日の朝にしましょか」
京都の取引先の会議室で、先方の課長がそう言ったのが木曜の11時40分。午前の2時間で議題は半分しか進んでなくて、残りの半分は、午後から外に出る部長がいないと話にならないものばかりだった。日帰りのつもりで取ってあった帰りの新幹線が、その一言で一泊ぶん後ろにずれた。
その夜、俺は百万遍にいた。会ったのはエミ。昼間は大学の図書館のカウンターの内側にいる人。学生向けの定食屋で瓶ビールを一本空けて、鴨川デルタの先っぽまで歩いて、22時すぎに別れてる。エミは、褒めたのか刺したのか分からない一言をはさんでは、俺の顔を一回見てから「冗談です」と引っ込める人で、俺はそのたびに、今のはどっちなのかを聞き返してた。
昼休みに見つけた「観光じゃない店で一杯」の募集
会議室を出てすぐ、廊下の端で上司に電話した。「明日の朝まで延びます」に「泊まってこい」で、話は30秒で済んだ。通話を切って、その場で四条通から一本入ったビジネスホテルを一泊押さえた。押さえてから気づいた。日帰りのつもりだったから、着替えを一枚も持ってきてない。鞄の中身は、ノートパソコンと資料の束と充電器だけ。
先方の担当と明日の段取りを詰め直してから、取引先のビルの裏にある蕎麦屋に入った。12時半を回ってた。カウンターの端でにしんそばを頼んで、待ってるあいだに、Jメールを開いて京都の募集に目を通した。東京にいるあいだは、ほぼ眠らせてるサービスなんだよ。起こすのは、仕事か遠征で西に出たときくらいで、大阪に出張したときは京橋の募集に返して、天満まで二軒回ってる。あの夜に募集を開いたのは、20時を過ぎてから。今回は昼休み。夜の予定を昼のうちに作れるなら、それに越したことはない。
料金の一覧には「募集を見る」が1〜3ptで載ってる。この昼に中まで開いたのは、目に留まった三件。
朝まで飲める人を探してる募集があった。文面はちゃんとしてて、変なところも見当たらない。ただ俺は、明日の9時にまたあの会議室に座ってないといけない。朝まで付き合える体じゃなかった。
京都の名所を案内します、という人もいた。行きたいお寺を言ってもらえれば、と書いてある。親切な人なんだと思う。ただ、会議が半分で止まった日の夜に、お寺の順番を相談される自分がうまく想像できなかった。
最後に開いたのが「観光じゃない店で一杯」。最初に書いてあったのは、観光案内はできません、の一文だった。

観光案内はできません、から始まる募集。前に何があったんだよ。笑
その下に、百万遍のあたりで仕事のあとに軽く飲める人、と続いてた。百万遍がどのへんだったか、地図で確かめ直した。四条から見ると、だいぶ北。
観光っぽくない店っていうのは、俺が京都の夜にいちばん欲しいものでもある。前に京都に来たときは、昼のうちに錦市場や和雑貨の店を歩いてから、夜に出てる。観光客っぽさを一回落としてからじゃないと、京都の夜には入りにくい気がしてたんだわ。今回は、午後を明日の資料の直しに使わないといけない。向こうから観光を断ってくれてる募集は、その手間を最初から省いてくれてた。
一通目は、用件から入った。

観光っぽくない店なら、どこでも付いていきます。今夜は四条に泊まりで、19時からなら動けます
送ったのが12時46分。メールは一通7pt。にしんそばが来たのは、その2分後だった。
四条の百貨店で、着替えを一式買い足した
午後は、ホテルの近くの喫茶店で、明日の朝に出し直す資料をいじってた。課長に言われた数字を三か所直して、表を一枚足す。14時半に一回切り上げて、四条通の百貨店に寄った。
シャツを一枚と、靴下と下着を一組ずつ。シャツは四角くたたまれて袋に入ってるやつで、レジで「すぐお召しになりますか」と聞かれて、「ホテルで着ます」と答えたら、たたんだまま袋に入れてくれた。

日帰りの出張で、百貨店の紳士服売り場に並ぶことになるとは思わなかった
15時半にチェックインして、部屋で百貨店の袋を開けた。ピンを七本抜いて、台紙を外して、椅子の背に掛けておく。それから資料の続きをやって、先方に送ったのが17時すぎ。そのついでにJメールを読み込み直すと、エミの名前があった。17時08分。
どこでも付いてくる、て書かはる人、ええ度胸やと思います

19時に上がるので、19時半に百万遍まで来られますか

ええ度胸。二回読んだ。度胸を買ってもらえたのか、無茶をたしなめられたのか、文字だけだとどっちにも取れる。顔文字も(笑)も付いてない。とりあえず、来られるかと聞かれたほうにだけ答えた。

行けます。百万遍の、どのへんにいればいいですか
17時23分に送信。これで7pt。エミの次の一通は17時40分。
交差点の角にいます。自転車を押してます


了解です。こっちはスーツで行きます
はい

「はい」の二文字で、やり取りは終わった。昼に開いた募集が三件、俺から送ったメールが3通で21pt。足しても30ptを超えることはない。
18時45分、椅子の背から新しいシャツを取って、着替えてホテルを出た。四条大橋を東へ渡って、京阪で終点の出町柳まで上がる。改札を出て東へ歩き出すと、さっきまでの四条とは歩いてる人の種類が違ってた。リュックの子、前カゴにリュックを突っ込んで漕いでいく子。スーツは、見渡すかぎり俺ひとり。
百万遍の交差点で、こっちから先に名乗った
百万遍は、前に京都のスポット10か所を比べた表で、右端の一言に「まだ歩いて眺めただけ」と書いてた場所なんだよ。昼に学生メシの店が並んでる通り、っていう絵しか持ってなかった。夜に来てみると、思ってたより明るい。四つの角それぞれで、信号待ちの自転車が列になってる。
19時28分。角のひとつに、自転車のハンドルを片手で押さえて、もう片方の手でスマホを見てる人がいた。からし色のニットに、斜めがけの小さい鞄。黒い縁の眼鏡をかけてる。向こうは俺の顔を知らない。こっちから行った。

エミさん、ですよね。アキです。Jメールの
……あ。はい、エミです

エミはスマホを下ろして、俺の顔を一回ちゃんと見た。目、口元、もう一回目。それから言った。
あのメールの、ええ度胸のとこ。冗談です


そこ、夕方から気になってしょうがなかったんだけど
すみません(笑)

メールを打った時点で、エミは俺の顔を知らなかった。冗談かどうかは、顔を見てから決めるつもりでいたらしい。17時08分に届いた一行の答えが、19時28分に交差点で返ってきた。
店はすぐそこだと言って、エミはハンドルを押して歩き出した。出町柳のほうへ、少し戻る向き。俺はサドルを挟んで反対側を歩いた。
百万遍でスーツの人は、だいたい先生か、就活の子なんです


じゃあ俺は、どっちに見えた?
就活の子……では、ないですね


それ、年のこと言ってる?
エミはハンドル越しに、俺の顔をもう一回見た。
冗談です(笑)


就活の子ではない、って、だいぶまっすぐ年の話っすよ

だよな。冗談ですで回収はされたけど、言われた中身は消えてない。笑
学生の定食屋で、毎回「それ、どっち?」と聞いた
エミが自転車を停めたのは、ガラス戸に手書きの貼り紙が何枚も貼ってある店の前だった。定食屋。中はテーブルが六つと、奥に小さい座敷。壁一面に短冊のメニューが並んでて、厨房から揚げ物の音がずっと聞こえてる。手前のテーブルでは、学生らしい男の二人組が、山盛りのご飯を黙々と崩してた。

あら、エミちゃん。今日は先生と一緒?
ちゃいます。東京の人です


東京の先生かいな
先生ちゃいますって(笑)

おばちゃんは俺の顔とスーツを見比べて、納得したようなしてないような顔で厨房に戻っていった。この通りでは、スーツは先生の制服らしい。
ここ、おかずだけでも頼めるんです、とエミが言った。
注文の前に、一個だけ聞いた。百万遍は学生の街で、隣のテーブルもたぶん学生。Jメールは18歳未満も高校生も使えないサービスではあるけど、俺は酒の出る席で、相手の年を自分の耳で一回聞いておきたい。

仕事って、このへんの? 学生さんではないよね
27です。大学の図書館で、カウンターに座ってます。5年目


カウンターって、貸し出しとか返却とか
それと、延滞のお知らせです(笑)

それから、瓶ビールを一本と、唐揚げと、だし巻きを頼んだ。瓶ビールが来て、コップ二つに分けて乾杯した。エミはひと口目を飲んでから、俺の胸のあたりに目をやった。
そのシャツ、線がまっすぐ入ってはりますね


それ、褒めてる?
エミはコップを置いて、俺の顔を見た。
冗談です


……15時に、四条の百貨店で買った。日帰りのはずだったから、着替えがなくて
たたんであった線やなって、交差点で会うたときから思ってました(笑)


最初から分かってて言ったんだ
見下ろしたら、胸のところに、袋の中でたたまれてた形のまま折り目が縦に二本残ってた。ピンは七本抜いたけど、線のほうは抜けてない。笑
唐揚げは、皿からはみ出す量で出てきた。エミはだし巻きを箸で四つに割って、そのうち二つをこっちの皿に寄せてくれる。俺が唐揚げを一個多めに取ったら、それは見なかったことにしてくれた。
明日の朝の話になったのは、そのあと。9時から、昼前に出てきたあの会議室で今日の続き。資料はもう送ってある、と言った。
明日9時からお仕事やのに、今夜百万遍まで来はるの、元気ですね


今のは、どっち?
冗談です

褒めたほうを引っ込めたのか、刺したほうを引っ込めたのか。返ってくるのは毎回「冗談です」で、そこだけは一回も言ってもらってない。

冗談です、って、どっちを引っ込めてんの
それは、聞かんといてください(笑)


聞くなって言われると、余計に聞きたくなるんだけど
ほな、また聞いてください。冗談です、て言いますから

答えは、出てこない。出てこないのに、俺は次もたぶん聞く。聞くたびに、エミは一回こっちの顔を見る。その一瞬が見たくて聞いてるところも、なくはない。

図書館のカウンターでも、それやってんの?
やりません。延滞の子に冗談です、て言うたら、本が返ってきいひんようになるし


カウンターだと、言ったら言いっぱなしなんだ
言いっぱなしです。返却期限は、冗談にでけへんので(笑)

募集の一行目のことも聞いてみた。観光案内はできません、のやつ。
前に普通に募集を書いたら、清水の行き方を聞かれたんです


なんて返したの
地図のアプリのほうが詳しいですよ、て


それは冗談じゃないやつだ
それは本気です(笑)

今度はエミのほうから一個だけ聞かれた。なんで観光じゃない店がよかったのか。観光客の顔のままだと京都の夜は入りにくい気がしてて、前に来たときは昼のうちに錦市場のあたりを歩いて慣らしてから出た、と答えたら、エミは唐揚げの最後の一個を俺の皿に置いて、ふうん、とだけ言った。
瓶が空になったのは、21時を回ってすぐ。会計のとき、おばちゃんは俺にだけ「先生、また来てな」と言った。訂正する前に、エミが横で肩を震わせてた。店を出る前に、エミのほうからLINEのコードを出してきて、そこで交換した。
昼休みに開いた三件のうち、メールまで返したのはエミの一件で、ほかの二件には何も送ってない。
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夜の鴨川デルタ、亀の飛び石の手前まで

帰りは川沿いで四条まで歩いてみる。デルタって、この先だよね
この先です。夜は誰もいはらへんけど、そこまでは一緒に行きます

出町柳のほうへ、またサドルを挟んで並んで歩いた。橋を一本渡ると、二本の川に挟まれた三角の先っぽに下りられる。鴨川デルタ。高野川と賀茂川が、ここで合わさって一本になる。天気のいい昼なら、学生がピクニックしたり楽器を鳴らしたりしてる場所。
夜のデルタに、その昼の顔はどこにもなかった。街の灯りが届くのは先っぽの手前まで。足元が砂利に変わったところで、エミは自転車を土手の上に残してきた。左から一本、右から一本、川の音が別々に聞こえてて、先っぽに近づくにつれて、それが一つに混ざっていく。

夜のデルタに、スーツと革靴で下りたんすか

下りた。砂利を踏むたびに、靴がいちいち鳴ってた
先っぽの手前の水の上に、黒い塊が点々と並んでるのが、かろうじて見えた。亀の形の飛び石。跳んで渡れるように並べてあるやつ。
昼は、ここ学生でいっぱいなんです


夜は亀しかいないね
その靴で飛び石渡らはったら、尊敬します


それは、渡れってこと? 渡るなってこと?
暗くて、こっちの顔がよく見えないらしい。エミは半歩寄って、首を少し傾けて、俺の顔を下から覗いた。
……冗談です。渡らんといてください


渡らないよ。明日9時なんだから
それ、さっき私が言うたやつです(笑)

顔を覗くために寄った半歩は、そのまま戻らなかった。亀の飛び石のほうは、もう二人とも見てなかった。
22時を回ったところで、エミが土手の上を振り返った。
そろそろ、帰ります。明日、9時ですもんね


そこは、冗談じゃないんだ
二回聞きましたから

土手に上がって、エミはスタンドを蹴った。サドルにはまたがらずに、ハンドルを握ったまま土手の道に出る。家はこの川の北のほうらしい。
飲んだ日は、押して帰るんです

着いたら、送ります


うん。暗いから、ゆっくりね
エミは自転車を押したまま、土手の道を北へ歩いていった。前のライトの小さい丸が、しばらく揺れてた。
顔を見ないで届いた、四分あとの冗談
ホテルまでは、川沿いを歩いて帰ることにした。四条まで、地図で見ると40分くらい。橋を渡って、川べりの道に下りて、南へ歩き出す。夜の川沿いは人がまばらで、あとは水の音しかしない。
22時38分。俺がまだ川の途中にいるうちに、エミのほうが先に着いた。
家に入りました。今日のアキさん、百万遍でいちばん真面目な人でした

真面目。褒め言葉にも取れるし、固い人だったって意味にも取れる。この夜で何回目かのどっちつかずで、しかも今回は顔が見えない。文字だけで渡されると、余計に分からないじゃん。

それ、どっち?
22時39分に送った。返事は来ない。スマホを持ったまま、川沿いの道をそのまま歩いた。
22時43分。
冗談です

四分かかってる。交差点でも、店でも、デルタでも、エミは俺の顔を一回見てから「冗談です」を言ってた。画面の向こうには、見る顔がない。その四分のあいだに、エミが何を見て決めたのかは、俺には分からない。

冗談なのは分かった。どっちなのかは、まだ分かんない
返ってきたのは、本を一冊抱えたうさぎのスタンプだった。
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三条大橋の下をくぐったのは、23時になる少し前。橋の上には、まだ渡っていく人の影がいくつかあった。右手の街の灯りが、黒い水の上に細長く伸びてる。四条までは、まだ少し歩く。
この流れの次に読む記事。
読み終わったあとに動きやすいように、連絡、街での流し方、次の場づくりに近い記事を置いています。


